カネダのあゆみ
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金田油店時代

 大正12年(1923年)の関東大震災で店舗、商品、家財の全てを焼失し、壊滅的な打撃を蒙りました。昭和2年(1927年)にようやく新店舗が落成しましたが、昭和6年(1931年)に2代目金田由蔵店主が逝去し、世の中が大変な不景気であったため、周囲から「このまま商売を続けるのは無理だ」という意見が多く出ました。しかし弱冠17才の後継者金田勝次が一大決心をして3代目店主に就任し、「升由油店」を「金田油店」に改称して世の荒波の中へ船出することになりました。

お祭り(昭和3年) この当時は、アメリカに端を発した世界恐慌が日本にも波及して、銀行や民間企業の倒産が続出し、東京帝国大学を卒業しても1割位の人しか就職出来ず巷には失業者があふれ、加えて2年続きの冷害でお米が不作となり、農家は食べる物が無くなり木の皮や笹の葉を食べるという悲惨な状態にありました。17才の金田勝次店主は「金田油店」の復興と発展を固く心に誓い、毎日夜明けから夜遅くまで血眼になって必死に油の販売に駆け回りました。

金田勝次(10代) 昭和8年(1933年)から昭和13年(1938年)頃までは軍備拡張による需要増加で油業界の景気が上向き、「金田油店」はようやく不況を乗り切ることが出来ました。しかし昭和16年(1941年)に太平洋戦争が始まり、次第に商品の供給が少なくなり配給制度になったため「金田油店」は開店休業状態になりました。

 昭和20年(1945年)に太平洋戦争は終わりましたが、すぐには販売する油の供給が間に合わず、社員の生活維持のため、やむなく兵隊の鉄兜で作った鍋を売ったりして急場を凌ぎました。昭和22年(1947年)に東京江東区の艀(ハシケ)が接岸できる場所に倉庫と配送センター(現在の金田物流)を新築しました。