金田油化時代
昭和42年(1967年)には金田商店から「金田油化株式会社」に社名変更しました。
昭和43年(1968年)からエアゾール式電子機器用局部冷却剤「ポイントクーラー」や電子機器用洗浄剤「リペ」の製造・販売を行い、超音波精密部品洗浄機などの機械類の販売も開始しました。昭和45年(1970年)には食品用パッケージ商品の販売に取り組み、包装資材の販売を開始しました。
一方昭和44年(1969年)に当時の金田勝次社長が、油脂の販売業者で運営する東京油問屋市場の理事長に選任され、次いで昭和47年(1972年)に全国油脂販売業者連合会会長に就任し油脂業界の発展のために尽力し、種々の方策を実行いたしました。
昭和50年(1975年)には東京江東区に流動パラフィンのブレンド及び充填工場を新設し、お客様の要望にマッチした商品の納入が可能な体制を整えました。
昭和52年(1977年)12月5日発行の日経産業新聞の「積極商法で老舗を守る」という特集に、「金田油化」はニーズを先取りして積極的に新商品の開発・販売に取組んでいる企業として紹介され、また昭和54年(1979年)1月27日の日本経済新聞には「取引先を招いて講演会」という見出しで、写真入りの記事が掲載されました。昭和53年(1978年)には「東京都内で100年以上にわたり努力し、今日も立派に栄えている企業98社」の内の1社として東京商工会議所から表彰されました。この中には富士銀行・第一勧銀(現みずほ)、日本経済新聞、資生堂、三井物産、三越、吉徳など日本を代表する錚々たる有名企業が名を列ね、受賞は大変な名誉でありました。
金田勝次は、永年油脂業界の発展に尽力している功績により昭和53年(1978年)に藍綬褒章を授章し、昭和60年(1985年)には天皇陛下より勲四等瑞宝章を受勲致しました。
この間に社員が増え、事務所が手狭になったため昭和55年(1980年)に6階建ての社屋を新築し、それまで別のビルに分かれていた各部門が一緒に仕事が出来るようになり、働く場所が一層健康的で能率的な良き環境になりました。
一方「カネダ」は早くから事務の合理化に取組んできましたが、昭和49年(1974年)にコンピューターによる経理の計算事務合理化を実施し、その後富士通のマイコンを導入し総務部門を中心に活用を始めました。そして昭和59年(1984年)から新しいコンピューターシステム「KOSMOS」が稼動し販売管理、財務管理に威力を発揮し、その後経営戦略に役立つ高度利用を目指しました。